プロフィールに、私はこう書いています。
「両立支援をする人」になる前に、私はずっと、両立できなかった側にいました。
10年近く、不妊治療と向き合いました。そのあいだに、常勤の仕事をあきらめています。
なぜ辞めることを選んだのか。仕事を辞めて、治療に専念すれば楽になれたのか。
この記事では、当時の私の経験を振り返ります。
治療そのものの話ではなく、治療と看護師として働くことの両立についての話です。
※当時の話です。
🍡 治療の段階が進んだとき、仕事とぶつかった
当時、私は日勤のみのクリニックで働いていました。
働き始めて数年がたち、職場の人たちとも信頼関係ができていました。
仕事と治療が大きくぶつかるようになったのは、治療の段階が進み、より専門的な治療が必要になったころです。
通院の回数が増えました。
朝いちばんに受診し、診療が始まるぎりぎりに職場へ滑り込む。
そんな毎日でした。
🍡 職場には伝えていた。応援もしてもらっていた
治療のことは、職場に隠していませんでした。
ほかの職員さんたちは、私の妊娠を楽しみにし、治療を応援してくれていました。
恵まれた環境だったと思います。
それでも、私の中には消えない気持ちがありました。
ちゃんと人員のひとりとして働けていない。
申し訳なさや、罪悪感のようなものです。
治療で出勤が遅れた日は、お菓子を差し入れたり、一人ひとりに謝って回ったりしていました。
誰かに、そうしてほしいと言われたわけではありません。
「そんな気にしなくていいからね」という言葉ももらっていました。
でも、自分で自分を追い込み、どんどん苦しくなっていきました。
🍡 泣きたい気持ちを、勤務の前に押し込めた
治療の結果を告げられた直後に、そのまま職場へ向かった日もありました。
泣きたい。
でも、そんなことは勤務中にするべきではない。
そう思って、気持ちを押し殺し、いつもどおりに働いていました。
結果が出る日には、心配して「どうだったの?」と声をかけてくれる方もいました。
まだ自分の中で整理できていなかった私は、「ダメでした」と言おうとして、涙しか出ず、そのまま固まってしまったのです。
「ごめんね。いいの、それ以上言わなくていいから」
相手の気持ちも、痛いほど分かります。
応援してくれている人たちに、治療の経過を伝えることは誠意だと思っていました。でもそれ以来、くわしいことは伝えないようにしました。
自分が立っているだけでいっぱいいっぱいで、心配してくれる人の気持ちまで受け止める余裕が、私にはなかったのです。
気持ちはうれしい。でも、受け止めきれない。
やさしさを受け取るにも、ほどよい距離が必要なのだと、このとき知りました。
職場には治療のことを伝えていたのに、気持ちを置いておける場所は、どこにもなかったのだと思います。
治療のために勤務を調整してもらうことと、治療で揺れる気持ちを受け止めてもらうことは、私の中では別のことでした。
🍡「治療に集中したい」と言って、辞めた
続けようと思えば、続けられる職場でした。
それでも私は、辞めることを選びました。
当時の風潮や、私自身の考え方も影響していたと思います。
本当のところを言えば、自分でしていた気遣いに、自分で疲れてしまったのです。
周りのやさしさに応えきれない自分も、苦しかった。
どうしていいかわからなくなり、逃げるように辞めました。
収入が減り、生活が厳しくなることもわかっていました。
それでも、ここまで全部をかければ、きっと授かれるはず。
そんなふうに、半ばやけになっていたところもあります。
「治療に集中したい」と言えば、周りはもう何も言えません。むしろ、それはよいことのように受け止められる空気もありました。
辞めることが、治療に本気であることの証明のようにも感じていました。
いったい、誰に対しての証明だったのでしょう。
🍡「両方を選んでいい」という発想がなかった
私には、なりたい姿がありました。
看護師としてかっこよく働く母になって、その姿を子どもに見せたい。
だからこそ、今は治療をやるべき時期なのだと考えていました。
仕事か、治療か。
両方を選んでいい、という発想がありませんでした。
その根っこにあったのは、「周りに迷惑をかけている」という負い目です。
私の中で、それはとてつもなく大きなものでした。
仕事を続けたい気持ちもありました。でも、周りに迷惑をかけずに働けない自分を、許せなかったのだと思います。
🍡 治療に専念する毎日も、つらかった
クリニックを辞めて、しばらくは治療に専念する生活になりました。
でも、その毎日も、私にとってはつらいものでした。
社会の役に立てていない。
女性として、意味がないのではないか。
そんな思いが募り、自分がここにいることへの罪悪感が強くなっていきました。
今なら、「そんなことは全然ない」と言えます。
でも当時の私には、そう思える余裕がありませんでした。
子どものいない人生は、怖くて考えることさえできませんでした。真っ暗な闇のようにしか思えず、見ないように、考えないようにしていました。
その怖さから逃れるように、治療にのめり込みました。
だから、結果が出ないと、自分のバランスを保てなくなってしまう。
経済的な不安もありました。
それ以上に、社会と関わりたい。誰かの役に立っている実感がほしい。
そう思って、単発の派遣で働き始めました。
仕事を辞めれば、治療に集中できる。そう思って選んだはずなのに、仕事から離れたことで、別の苦しさが生まれていたのです。
🍡 働き方を変えて、分かったこと
派遣やパートで働くようになって、よかったこともあります。
- いろいろな職場や働き方を知ることができた
- 看護師としての基本があれば、さまざまな場所で働けると分かった
- 職場ごとに、自分の合わせ方を見つけられるようになった
一方で、キャリアの見通しは細くなっていきました。
クリニックに移った時点で、「看護師の王道から外れた」という感覚がありました。そこも辞めたことで、もう戻れないという気持ちは、さらに強くなったのです。
それでも、「看護師だから、どうにでもなる」と、どこかで楽観していた自分もいました。
実際に、働き方を変えながら看護師を続けることはできました。
ただ、働く場所を選べることと、自分が望むキャリアを築けると感じられることは、同じではありませんでした。
いろいろな場所で働いたときのことは、こちらの記事にも書いています。
🍡「迷惑をかけたくない」の正体
振り返ると、私を動かしていたのは、「迷惑をかけたくない」という気持ちでした。
以前、「あなたがいないと現場が回らない」という言葉について書いたことがあります。
迷惑がかかると思って、辞めたくても辞められない看護師の話です。
今回の私は、その逆でした。
迷惑をかけるのが申し訳なくて、辞めたのです。
不妊治療は、病気ではないのに、通院が続きます。
外からは見えず、休む理由を、誰かに与えてもらえるわけでもありません。
だから私は、自分で借りを作り、自分で返そうとしていたのだと思います。
辞められないのも、辞めてしまうのも、根っこは同じなのかもしれません。
人の役に立てていない自分は、ここにいてはいけない。
私は、そう思い込んでいたのだと思います。
もし今、同じような申し訳なさを抱えながら働いている人がいたら。
その気持ちは、あなたが弱いから生まれるものではない、と私は思います。
周りへの配慮ができることと、自分がどこまで負担を引き受けるかは、別の話です。
🍡 当時の私に、いま声をかけるなら
その後、私は治療にひと区切りをつけ、両立支援コーディネーターとキャリアコンサルタントの資格を取りました。
今の私が、あのころの私に声をかけるとしたら、こう伝えたいです。
「一人で抱えずに、一度、吐き出してみませんか。人に話すことで、頭の中を整理することができますよ」
当時の私は、相談することも、相手に迷惑をかけることだと思っていました。
だから、自分の気持ちを誰かに話して、一緒に考えてもらうという選択肢がありませんでした。
その思い込みから、自分を解放してあげたかった。
そして、もっと自分に優しくしてあげられたらよかったのに、と思います。
もうひとつ、キャリアコンサルタントとして、今の私が伝えたいことがあります。
あのころの私は、子どものいない人生を、怖くて見ることさえできませんでした。
そもそも、ほかの可能性を考える余裕もなかったのだと思います。
でも、少しずつでも選択肢を眺められたら、すぐに決めなくても、自分にはほかの道もあると気づけたかもしれません。
選ぶのは、そのあとでいい。
🍡 通り過ぎてみて、いま思うこと
今、私に子どもはいません。
あれほど怖かった「子どものいない人生」は、実際に歩いてみると、恐れていたほどのものではありませんでした。
これは、通り過ぎてきたから言えることです。
治療をしたことも、今子どもがいないことも、
私にとっては、不幸なことでも、かわいそうなことでもありません。
私は、しあわせです。
そのことからも、目をそらさずにいたいと思っています。
今まさに暗闇の中にいる人に、同じように思ってほしいとは言いません。
その人が今感じている怖さを、私の経験だけで軽くすることはできないからです。
ただ、かつての私には想像できなかった景色もあった、ということだけ、ここに置いておきます。
🍡 両立できるかどうかより、納得して選べるか
治療と仕事を、両立できるか。
正直に言うと、私は常勤の仕事との両立を続けられませんでした。
でも今は、両立できたかどうかだけで、自分を責めなくていいと思っています。
働き続ける。働き方を変える。いったん離れて、治療に専念する。
どれを選んでもいい。
大切なのは、「迷惑をかけたくない」という気持ちだけで決めないことだと思います。
自分はどうしたいのか。何がつらいのか。どんな支えがあれば、続けられる可能性があるのか。
ひとりで抱え込まず、そうしたことを考える時間や、誰かと話す機会があってもいい。
治療に本気であることを証明するためではなく、自分がどうしたいのかを考えたうえで、選んでいい。
もし今、気持ちを置いておける場所がないなら。
この記事を読んで、「同じような思いをした人がいる」と知ってもらえたらうれしいです。
※この記事は、私自身の経験をもとに書いています。特定の職場や個人の話ではありません。
※気持ちの部分や、看護以外の場面での迷いについては、noteにも書いています。
きび団子職人
