手術室しか経験がないけれど、ほかで働けるだろうか。
手術室で働いていたころの私は、ずっとそれが不安でした。
この記事では、手術室を出たあとに私が実際に働いた場所で、手術室の経験が活きたことと、困ったことを書いていきます。
※この記事は、私が働いてきた職場での、当時の話です。
🍡 いちばん不安だったのは、「一般的な看護」を知らないこと
私が不安だったのは、病棟で経験するような「一般的な看護」を、ほとんど経験していないことでした。
たとえば、十二誘導心電図。
私が働いた病棟では、日常的に行っていた検査ですが、手術室では、とったことがありませんでした。
病棟で毎日のように行う、おむつ交換や、ベッドの上での体位変換。
私には、ほとんど経験がありませんでした。
基本的な看護技術は、学生の実習以来です。
でも、意識のある患者さんと関わることは、それほど怖くありませんでした。手術室でも術前訪問をしていたし、もともと人と話すことは好きだったからです。
怖かったのは、看護師として当たり前のことが、自分にはできないのではないかということ。
手術室で積み重ねてきた10年が、外に出たとたん、通用しないかもしれない。
そう考えると、怖くてたまりませんでした。
もうひとつ、不安がありました。
一度病院を離れたら、もう大きな病院には戻れないのではないか、ということです。
🍡 結論から言うと、働けました
手術室のあと、私は主にこんな場所で働いてきました。
- 病棟(8か月)
- 日勤のみの個人クリニック(3年半)
- 有料老人ホームのパート(約5年)
- 手術室のパート(2年。老人ホームと並行)
- 派遣の看護師(コロナ関連の療養施設や相談窓口など)
手術室の経験だけでも、働ける場所はありました。
ただ、どこでも同じように働けたわけではありません。
うまくいった場所もあれば、合わなかった場所もあります。ひとつずつ書いていきます。
🍡 病棟:いちばん苦労した場所
最初に移ったのは、病棟でした。
結果は、8か月での退職です。
複数の患者さんを同時に受け持つこと。医師がそばにいない中で、判断すること。どちらも、手術室の経験だけでは足りませんでした。
このときのことは、別の記事に詳しく書いています。
🍡 個人クリニック:「合わせる力」が活きた
病棟を辞めたあと、アルバイト先の医師に誘われて、日勤のみの個人クリニックに就職しました。日帰り手術もあるクリニックです。
常勤の看護師は、私1人でした。
困ったこと
相談できる人がいませんでした。
決まったルールもなかったので、ひとつずつ積み上げていくしかありません。
「このケースでは、こう対応した」と必ず記録に残して、あとから振り返れるようにしていました。
看護師としての成長が、自分だけ止まってしまうような不安もありました。
大きな病院なら、年次に合わせた研修があります。クリニックには、それがありません。
大学病院に残った同期との差が開いていく気がして、焦りました。
放送大学で授業を取ったり、有料の講座に通ったりして、苦手な採血データや心電図の波形を勉強し直しました。
活きたこと
手術器械の洗浄や滅菌は、困りませんでした。
私が働いていた手術室では、補助の方がいない時間帯は、看護師がこれを担っていたからです。診療材料の発注や検査の依頼など、裏方の仕事も任せてもらいました。
いちばん活きたのは、相手に合わせる力です。
そのクリニックは、曜日ごとに担当の医師が違いました。診察の進め方も、医師によって違います。
手術室でも、執刀医ごとに手順や器械の好みが違い、それに合わせて準備を変えていました。だから、医師ごとのやり方に合わせるのは、苦になりませんでした。
意識のある患者さんとの関わり
入院が必要なほどではない分、それぞれのペースで暮らしている方が多く、病気への向き合い方もさまざまでした。
その方に伝わる言葉に置きかえて話すこと。
医師と患者さんのあいだに入って、「本当に心配していること」を医師に伝えること。
毎日が試行錯誤でしたが、定期的に通ってくださる方との関係ができて、とても楽しい時間でした。
🍡 有料老人ホーム:病院の「当たり前」が通じなかった
派遣で働いていたころ、派遣先の医師に強く頼まれて、有料老人ホームでパートとして働くことになりました。
正直に言うと、介護の分野には興味がありませんでした。急性期の病院にいたので、きっと退屈だろうと思っていたのです。
でも、実際は違いました。
病院は治療をする場所ですが、老人ホームは人が暮らす場所です。毎日、何かしらの出来事が起きる。にぎやかで、愛おしい日々でした。
戸惑ったこと
病院の中の「当たり前」が、通じませんでした。
看護職は少数派で、介護職の方が中心の職場です。病院とは、前提になる知識や言葉が違いました。
入居者さんのためという目的は同じでも、介護職と看護職で考え方がすれ違う場面もありました。パートという立場だったからこそ、あいだに入って調整しやすかったのかもしれません。
活きたこと
多職種との調整は、手術室で慣れていました。
手術室も、医師、麻酔科医、臨床工学技士など、いろいろな職種の集まりです。前もって相談し、調整することが欠かせませんでした。
クリニックで身につけた患者さんとの関わり方も、入居者さんと向き合うときに活きました。
ヒヤリハットの考え方も、役に立ちました。
医療の現場では、ヒューマンエラーはなくせないものとして、ヒヤリハットやインシデントを報告し、仕組みで防ぎます。
ただ、私が働いていた施設では、この考え方の受け止め方が違いました。
報告書を書くこと自体が、ペナルティのように感じられていたのです。
書いたら、責められる。
そう感じていれば、報告をためらうのも無理はありません。
報告書は、当事者を責めるためではなく、みんなで共有して、改善していくためのものです。
そのことを伝えながら、もうひとつ心がけていたのは、ふだんから信頼してもらえる関係をつくることでした。
困ったときに、頼ってもらえる看護師でいたい。
そう思って、地道に関係を積み重ねていきました。
反対に、自分が分からないことは、素直に頼りました。
苦手なことは「手術室だったので分かりません」と開き直って、病棟経験のある先輩看護師に、一から教えてもらったのです。
頼り、頼られながら、ルールをみんなで作っていく。
そんな楽しさもありました。
🍡 手術室のパート:5年ぶりでも、体が覚えていた
老人ホームで働いていた期間のうち2年間は、新卒の病院でお世話になった医師に声をかけてもらい、手術室のパートも並行していました。
手術室を離れて、5年ほど。
それでも、入ってみると体が覚えていました。
このときのことは、こちらの記事に書いています。
🍡 派遣:求められたのは「普通に、ちゃんと働くこと」
コロナ禍には、派遣の看護師として、いろいろな現場に行きました。
- コロナの患者さんの療養施設
- コロナの相談の電話窓口
- ワクチン接種会場の相談コーナー
- 救急相談の電話窓口(コロナ禍のあと)
現場ごとに、求められることは違いました。
その場で自分の役割は何かを考えて、動く。
特別なスキルよりも、普通に、ちゃんと働くことが求められているのだと実感しました。
手術室でも、手術の状況を見て、自分の役割を調整しながら動いていました。
その力が、ここでも活きたのだと思います。
🍡 振り返ると、不安の正体は「ほかの道を知らなかったこと」
手術室しか経験がないことが、あれほど不安だったのはなぜか。
今振り返ると、大きな病院の急性期で働くことこそが、「看護師としてちゃんと働くこと」だと思い込んでいたからだと思います。
そこから外れたら、もう戻れない。
そう感じていたのは、ほかの働き方をしている看護師を、ほとんど知らなかったからかもしれません。
実際に外に出てみると、働ける場所はいくつもありました。
そしてどの場所にも、手術室で身についたことが活きる場面がありました。
🍡 手術室からの転職が不安なあなたへ
私の場合、手術室の経験が活きたのは、こんなところでした。
- 相手や場面に合わせて、やり方を変える力
- 器械や物品を管理する力
- 状況を見て、自分の役割を調整する力
- いろいろな職種と、前もって調整する力
一方で、病棟のように、手術室の経験だけでは足りない場所もありました。
だから、「手術室の人なら、どこでも大丈夫」とは言いません。
ただ、少なくとも私は、動いて失敗したことで、終わりにはなりませんでした。
合わなかった場所があったからこそ、次に合う場所を探せました。
今振り返ると、ひとつ思うことがあります。
「手術室しか知らない」ではなく、「手術室を知っている」。
当時の私がそう言いかえられていたら、もっと早く、道が広がって見えていたのかもしれません。
「しか」を「を」に変えるだけで、同じ10年が、足りないものではなく、持っているものに見えてきます。
手術室に残るのか。
別の場所に移るのか。
どちらを選んでも、手術室で積み重ねてきた10年は、なくなりません。
※この記事は、私自身の経験をもとに書いています。特定の職場や個人の話ではありません。
※手術室で身についた力については、こちらの記事の後半にも書いています。
※気持ちの部分や、看護以外の場面での迷いについては、noteに書いています。
きび団子職人

